アクタージュ34話、巨匠・巌裕次郎の「最後の舞台」ってそういうことか(週刊少年ジャンプ感想/2018年43号)
アクタージュ
巌さん、死ぬのか。そうか、死者の気持ちを知ることなんてできないんじゃないかと思っていたけれど、カムパネルラはこれから死にゆく人の方が近い。だから病気で死を宣告された巌さんの気持ちを喰えば「死」を知ることが出来るというのはすごく納得できる。
巌さんは自分の事を「演劇をやるために生まれてきたろぐでなし」と言っていたけれど、本当にその通りのキャラクターだった。
自分の死を淡々と語っているあたり、自分の死で演劇が良くなればそれでいいと本気で言っていることが伝わってくる。
それどころか、自分の大切な人々を騙してでも演劇を良いものにしようとしているあたり、本当に何よりも演劇が大切だということがわかる。
巌さんは気づいているんだろう。自分が最後の舞台にすると言えば、それを防ぐために劇団員の人たちが奮起することを。巌さんに「また自分たちと演劇したい」と思わせるために劇団員が全力で演劇に取り組むだろうことも。
だからこそ、彼は自分の死を隠すのだろう。その方が劇が良くなると知っているから。劇団員の人たちの望みは、どれだけ頑張っても叶わないと知りながら、その望みを目指させるのだろう。
本当に、演劇をやるために生まれてきた人間だということがこれでもかというほどに表現されていて、確かに人間としてはろくでなしな一面もありながら、ぐっと魅力的になってる。どこかの黒い人はこの人を越えられるキャラクターになれるのか?
あと思ったのは、やはりアクタージュという作品の演出力の高さ。大切な劇団員の人々を騙している罪悪感を、「俺たちは今日から共犯者だ」という台詞ひとつで表現している台詞のうまさ。また、アラヤという人との関わり方が変わっているキャラクターが巌さんを心配していることで、巌さんの劇団員からの信頼の高さを表現する手法。最近のアクタージュは絵も台詞も極まってきて表現力が高い。
鬼滅の刃
さらっと重要な情報が書かれまくるヤバい回だった。先週の禰豆子予想は外れてしまった模様。残念。
珠代さんからの手紙、簡単に流されてるけど禰豆子の血の力で無惨の支配から解放された上に自我を取り戻すってヤバいこと書かれてないか?
これ、それこそ一部の鬼たちは人間の頃から悪人だったわけではないし、炭治郎とか結構悩みそう。まあ今はそれどころじゃなさそうだが。
最近は人間の頃から畜生だった奴が多かったのはこういう展開になるからだったのだろうか?
さらに、明かされる無惨の鬼化の原因。とりあえず人間の頃から無惨は性格変わらずクソ野郎だったのね。
人の血肉を欲することをまあいいかで流せるのは相当な狂人ですわ。逆に凄い。
とはいえ、かんしゃくで医者殺したせいで千年苦しみ続けることになったというのに、未だに同じことをし続けるとか、無惨様は学習という言葉をご存じないのだろうか。
でも臆病者の無惨様が自分の同胞を作り続けていた理由はなるほどと思った。つまるところ鬼全員が実験体であり手足であると。実に彼らしい理由だ。
あと、炭治郎が禰豆子に抱きついているときに玄弥くんが凄く「良かったな」って笑顔をしていたり、恋柱さんに抱きつかれた時にめちゃくちゃ照れていたりとすごくかわいいキャラクターになったなと思いました。初期の頃はこうなるとは思ってもみなかったよ。