呪術廻戦77話、夏油の思想は元から闇落ちの種を孕んでいたと思う(週刊少年ジャンプ感想/2019年44号)
●呪術廻戦
夏油……ついに堕ちてしまったか……。
夏油が闇落ちしたアレコレについては後ほど語るとして、今回は
夏油「呪術は非術師を守るためにある」
「そもそも夏油が最初に持っていたこの思想そのものが闇落ちの種だったんじゃないか」ということについて考察していこうと思います。
一見素晴らしい考えに見えますけど、この考え方には罠があります。それは、「術師を非術師の上に置いていること」、そして「術師は非術師を守ってやっている」というある種の傲慢さが思想に入ってしまっている事です。
現実でもそうなんですが「〇〇のために何かをしてやっている」という思考は闇に落ちやすいんですよ。
例えば「部下のために色々してやっている」と考える上司とか、「子供のために色々してやっている」と考える親なんかを想定するとわかりやすいかと思います。
こういう考え方をする人は、相手に「与えてやっている」と考えているので、無意識に相手に対価を求めてしまうんですよね。
対価といってもお金とかではなく、例えば「叱ってやっているのだからしっかり話を聞くべき」とか「塾のお金を払ってやってるからしっかり勉強するべき」とか、そういった「相手の態度」に対価を求めます。そして、相手が自分の望んでいる行動を取らないと、不機嫌になる傾向があります。
つまり、相手の行動に「自分がしてやっていることに釣り合う行動」を求めてしまうんですよね。
そう考えると、夏油の「守ってやっている」という考え方は滅茶苦茶危うかったんだろうと思います。
いや本当に、芥見先生の世界観に夏油がいる以上、間違いなくクソみたいな非術師を見ることになったでしょうし、今回過去編で描写された事件がなかったとしても、夏油が呪詛師に落ちる可能性は高かったんじゃないかと思います。大分夏油に厳しい意見ですけどね。
そのうえで、こういう視点から見てもメイン3人の「術師である理由」は滅茶苦茶安心できるんですよね。
虎杖は「正しい死を迎えたいから」。
伏黒は「不平等な現実を少しでも平等に近付けたいから」。
釘崎は「自分が自分でありたいから」。
本当に揃いも揃って「自分がこうしたいから」っていうのが根底にあるんですよ。
多分芥見先生も意識的にそうしたんじゃないかと思うんですけど、やっぱり「自分がこうしたいから」が主軸にあるキャラはブレないし安心できますよね。
結局、「誰かのために何かをしている」つもりでも、その根底にあるのは「喜んでる姿を見て自分も嬉しくなりたいから」とか、そういう「自分にとってのメリット」があるものなんですよね。
だからこそ、そこに意識を向けていくのは現実世界でも大切ですし、今回の過去編で我々が改めて学べることなんじゃないかなって思います。
しかしこう考えていくと、学長が入学試験で「術師になる理由」を聞いたのは、夏油が呪詛師になった反省からなんじゃないかなって思えてきますね。