雨夏ユカリの趣味ノート

ボードゲーム・漫画・ライトノベルの感想/考察を書いてます

アクタージュ43話・『自分だけ服を着ているような情けなさ』からアキラ君は脱却できるのか(週刊少年ジャンプ感想/2018年52号②)

アクタージュ

 

「なんだ、この――自分だけ服を着ているような情けなさは」

 

これ、アキラ君の現状を的確に表したあまりにセンスがある一文すぎた。

 

今週のアクタージュを読んでいると、「アキラ君が才能がない」というのがすごくよくわかる。

 

それと同時に、巌さんが言っていた「役者はこの世で一番自由な職業なのにそこを勘違いしている」っていうのがどういうことなのかもようやくわかった

 

アキラ君の演技は「この場面ではここが正しい」「この場面ではこうすべきだ」というのをずっと意識して行われている。

 

それが彼の努力の成果なんだろうけど、それってつまり演技をしている間は自分の役を俯瞰しながら眺めているような状況だ。

 

だから役に入り込むことなんてできないし、アキラ君が言っていたように「彼女たちと同じ景色が見えていない」状態になってしまう。

 

そして、その「正しい」「こうすべき」というのに縛られ続けているアキラ君に対して巌さんが言ったのが先の一言なんだろう。

 

ここまで俯瞰した芝居をしていたら「役を通して自分の美しさを知る」ということもできない

 

俯瞰した芝居を続けていて、「正しい」「こうすべき」という服を着た芝居をしているから、役に入り込んでいる人たちと自分を見比べて「服を着ているような情けなさ」を感じてしまうのだろう。

 

 

あと、阿良耶が言っていた「何の匂いもしない」っていうのもこういうことなのかなと思った。

 

千代子にも何の匂いもしないって阿良耶は言っていたし、常に周りを見て「正しい」「こうすべき」を作っている人からは「何の匂いもしない」人になるのかもしれない。

 

そして多分、千代子はアキラと同じ人種ながらそれを「天才」と呼べるレベルまで高めていたから、阿良耶が思わず振り返ってしまったんじゃないかと思った。

 

 

そしてそんな「正しい」「こうすべき」に縛られ続けたアキラ君を、ラストに夜凪が導こうとしているのが熱い

 

アキラは「正しい」「こうすべき」を言い訳にして、できない自分から目をそらそうとしていた。「次の公演でやればいい」なんて言い訳して、「今の講演」から逃げようとしていた。

 

そんなアキラに対して夜凪が声をかけるシーン。

 

f:id:Blue_Whale:20181127000315j:plain

 

ここで、夜凪の力で「銀河鉄道のイメージ」がアキラにもすっと伝わっている。このコマの演出が最高。

 

多分、劇から外れたアドリブをすることで、アキラの中の「こうすべき」を吹っ飛ばしたんだろうな。それに夜凪の力も相まって、次のページではアキラにも銀河鉄道の車内が見えている。

 

はたしてアキラは自分の「すべき」から逃れられるのか。劇団天球の面々は「また形だけの芝居になっている」と言っていたということは、「形だけの芝居じゃなかったときがあった」ということでもあるのかもしれない。

 

ほんと、才能がないのに努力し続けてきた彼には報われてほしいよなあ……。

 

 

 ※本記事内で使用している画像は、『アクタージュact-age/マツキタツヤ 宇佐崎しろ/週刊少年ジャンプ』より引用しています